一号戦車、完成しました。

思ったより組みやすいキットでした。パーツ数も多く精密感あるキットでした。

サイドカーにフィギュアが3体付。

133の車体にしました。B型になってリアエンジンルームが延長。転輪も一つ増えてます。

リア周りの形状もだいぶ変わりましたね。

黄色の「133」/第4装甲師団/ポーランド戦・1939年仕様。第1中隊・第3小隊・第3号車って意味だそうです。

1939年の規定では、同一装甲師団内の2個装甲連隊を識別するため奇数番号の装甲連隊=白、偶数番号の装甲連隊=黄の車両番号を使う方式になってます。第4装甲師団には、「Panzer-Regiment 35」「Panzer-Regiment 36」の2個装甲連隊。
アカデミーの「黄色133」がこの規則に従っているなら、第4装甲師団・第36装甲連隊・第1中隊・第3小隊・第3号車となりますね。

ポーランド戦開始時のドイツ戦車では白い十字が使われましたが、実戦に入ると、白い十字が敵の照準点として目立ちすぎるという問題が起きました。
そのため現地で泥を塗ったり、灰色で消したり、黄色に塗り替えた例が確認されていますね。

第4装甲師団は1938年11月に編成された、まだ新しい部隊でした。1939年9月のポーランド侵攻では南方軍集団・第10軍・第XVI軍団の一部として投入されています。
そしてこの師団、1939年時点ではかなりの数の一号戦車を持っています。資料によって多少数字の差がありますが、Jentzを典拠とする集計では、
- Pz.Rgt.35:Pz.I 99両
- Pz.Rgt.36:Pz.I 84両
で、合計183両の一号戦車を装備していました。つまり第4装甲師団の戦車戦力の半分以上が一号戦車だったようです。1939年頃はIII号・IV号戦車が主力だったはずですが、実際に第4装甲師団は、一号・二号戦車を大量に抱えたまま実戦へ投入されたようです。

雰囲気でわかるように「非常に小さい」です。乗員はわずか2名。車体前部左側に操縦手、砲塔に車長兼射手という配置です。フィギュアの砲塔にいる車長は、索敵・指揮・照準・射撃を一人で4役担当します。

武装も砲ではなく、7.92 mm MG13機関銃 ×2のみ。戦車にしては寂しい装備ですよね。歩兵や非装甲車両には有効ですが、敵戦車との戦闘能力は・・・考えるまでもないです。スペイン内戦ではソ連製T-26など45 mm砲装備車と遭遇した・・・機関銃だけの一号戦車では困難どころじゃなかったでしょう。

サイドカーはKS750・・・かな?。説明書には記載はないのですが・・・。

戦車に合わせて少し泥を多めに。

装甲部隊では、当時のオートバイは重要な足でした。偵察、伝令、連絡、軽機関銃班の輸送などに使われ、編制表にもサイドカー付きオートバイが多数含まれていました。

今回の「133」が属するとされる第4装甲師団にも、1939年時点でPanzer-Regiment 35・36だけでなく、Schützen-Regiment 12、Aufklärungs-Abteilung 7などの機動部隊が編成されています。偵察部隊にもオートバイが含まれています。

同梱されているKS750は、1939年にはまだ試作段階。1939年に試作2台、1940年試験用7台、1941年春に量産開始という流れです。第4装甲師団・黄色133の一号戦車の横に、量産型KS750を置くのは、歴史的にはアウトです。ツェンダップだとK500とかBMWのR12などでしょうか。

前回つくったトライスターのA型です。

転輪が一つ増え、長さは少し長くなってますね。

マフラーも両サイドから後方の一つに。

制作した133は、1939年9月1日、ドイツのポーランド侵攻初日のポーランド南部、チェンストホヴァ北西のMokra(モクラ)周辺が初戦と思われます。攻撃側はドイツ第4装甲師団、守備側はヴォウィン騎兵旅団(Wołyńska Brygada Kawalerii)。ドイツ側は300両を超える戦車・装甲車、その主力は一号戦車と二号戦車。対するポーランド側は騎兵旅団ですが、「馬に乗って戦車へ突撃した」というわけではなく、馬は移動手段でした。

ポーランド騎兵は37mm Bofors対戦車砲・75mm野砲・wz.35対戦車ライフル・機関銃・TK/TKS豆戦車・装甲列車を組み合わせた、機動力の高い歩兵・対戦車部隊に近い存在でした。ヴォウィン騎兵旅団には22門前後の37mm対戦車砲、16門前後の75mm砲、13両のタンケッテと9両の装甲車があったとされます。

13mmの装甲にマシンガンが2丁。対戦車装備のあった砦の攻略は難攻したでしょう。

こうして上から見ると車体の長さがはっきりわかりますね。

フィギュアも並べてみると・・・顔、でかい?。そこはともかく、彫りの深さはアカデミーの方がいい感じですね。
1939年のポーランド戦当時、一号戦車B型はまだドイツ装甲師団の主要装備のひとつでした。しかし翌1940年のフランス戦を経るころには火力と装甲の不足が決定的となり、1941年の独ソ戦を最後に通常の戦車としてはほぼ第一線から姿を消していきます。その後も生き残った車両は訓練や警備、指揮・連絡などに転用され、一部は1943年ごろまで使用されました。
個人的にとても好きな車体なのです。こうして2台並べてみたりすると・・・眺めているだけでワクワクしますよね。今度は何にしようかな・・・




































































































